医療的ケア児と特徴的顔貌――愛せるか不安だった妊娠期

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妊娠中、「この子を愛せるだろうか」と不安だった

私の娘の病気は「特徴的顔貌がある」と言われています。
三角の眉、低い耳、小さな口とあご──。
妊娠中にネットで調べた時、「自分に似ていると思えるだろうか」
「ちゃんと愛せるのかな」と、不安でいっぱいでした。
(こちらのサイトに18トリソミーの子どもの特徴的顔貌の絵が載っています:大阪大学医学部付属病院 18トリソミー(エドワーズ症候群とは)

でも、実際に生まれてきた娘を見た瞬間、私は思いました。
「あれ? 私に似てる」「夫にもそっくり」
本気で「本当に18トリソミーなの?」と疑ったくらいです。




NICUでの言葉が心をほどいてくれた

出産した夜、NICUで娘を眺めていると、
看護師さんが隣にそっと来てくれました。

私はつぶやくように言いました。
「私にそっくり。18トリソミーじゃないみたいで…」

すると看護師さんは、優しく微笑んでこう言ってくれました。
「トリソミーといっても、みんな同じ顔じゃないんですよ。
ちゃんとご両親に似ているものなんです。」

その言葉を聞いたとき、ふっと肩の力が抜けました。
“そっかあ…私、何をそんなに心配していたんだろう”と。
この子は、正真正銘、私たちの愛すべき娘だ。
愛おしい。唯一無二のかけがえのない存在。
そう思えたあの瞬間を、私は一生忘れません。


「似ている」けれど、それは誰にでもあること

たしかに、SNSや本で18トリソミーのお子さんの写真を見たとき、
「あ、この表情、うちの娘に似てるな」と感じることもあります。

でも、それってきっと誰にでもあることだと思います。
赤ちゃんって、ふとした顔が重なって見えることもあるし、
写真の角度やタイミングによって、まったく違って見えるもの。
どんどん成長して顔つきも変わっていきます。

別の写真を見れば「やっぱり違うな」って思うし、
“18トリソミーの顔”という一括りではなくて、
ちゃんと「ご家族に似た、その子らしさ」があるんだなと、今は思います。


小さな成長が、私に幸せをくれる

生後6ヶ月を迎えたある日。
ずっと悩んでいた目やにがなくなって、
毎日目じりに塗っていたアズノールがついに不要になりました。
離乳食も少しずつスタートして、笑顔がぐんと増えてきました。

体重も少しずつ増えて、手をグーからパーに開けるようになり、
メリーを見て楽しそうにしたり、絵本に目を向けたり。
私のことを遠くからじっと見ている姿には、思わず笑ってしまいます。

抱っこをするたびに、だんだん重くなってきた身体。
「成長してるんだなぁ」と、腕の重みに幸せを感じる毎日です。


人と比べなくていい。わが子のペースでいい

公園で元気に走る子どもたちや、
スーパーでお母さんと手をつないで歩く子を見て、
「いいなぁ」と思ったこともあります。

だけど今は、人と比べなくていい、比べる必要なんてないって、
少しずつ思えるようになってきました。

娘のペースで、娘らしく育ってくれたらそれでいい。
小さな成長をひとつひとつ積み重ねて、
それを一緒に喜べる日々が、私にとっての「幸せ」です。


今の娘が、私は大好きです

病気がなかったら…と思うことは、今でもあります。
でも、それ以上にこの子が愛おしくてたまらない。
私たちにそっくりな顔で笑うその姿に、
何度も何度も「この子に出会えてよかった」と思います。

娘と一緒に生きていると、
風邪をひかないで家で過ごせること、
呼吸をしていること、
ミルクをしっかり飲めること──
そのどれもが、本当は当たり前じゃないことなんだと気づかされました。

入院したり体調を崩した時に、
当たり前だと思っていた日常のありがたさに気づくこともあります。
もっと日々を大切に生きればよかったと悔やんだりすることもあります。
だからこそ、今この瞬間を、大切にしたいと思うようになりました。

つい、今ある毎日が「当たり前」だと感じてしまうけど──
本当は、すべてがかけがえのない奇跡。

だからこれからも、大切に、大切に、
家族で一緒に生きていこうと思います。

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