コラム|「傷つく言葉」とどう向き合う? 〜コミュニケーションで大切なこと〜

医療的ケア児のママ。看護師(育児休業中)。会社員の夫と3人暮らし

医療的ケア児のママ。あきことはSNSで出会う。
※友人とのやり取りを元に、一部表現を調整しています。友人は仮名です。
目次
■「育てられるかわかんないんだから、夫と話しなさい」と言われたあの言葉
あきこ:前回の記事で書いてた、「育てられるかわかんないんだから、ちゃんと夫と話しなさい」って言われたこと、当時は傷ついたと思うんだけど、振り返って今はどう思ってる?
わたし:あのときは正直すごくつらかったよ。「今そんなこと言わないで…」「そんなの私だってわかってるうえで言っているの」って思った。あと味方になってくれると思っていたから残念。でも、今振り返れば――たしかに正論ではあったんだよね。
■「大変ですね」が、つらく感じるときもある
わたし:言葉って、ほんの一言でも傷つくことあるよね。「大変ですね」って言われるのが苦手な人もいるって聞いた。
あきこ:「大変ですね」かぁ…。たしかにそれ、言われたことある。自分で言ったこともあるし。
わたし:本人にとってはそれが日常で、もちろん大変だけど、その中にも喜びや楽しさがあるから気になるんだって。だから「大変ですね」より「頑張ってますね」のほうがうれしいって人もいるんだって。
あきこ:その微妙な言葉のニュアンスで、受け取り方が全然変わることもあるよね。
■「寝たきりのおじいちゃん」で表さないで
わたし:以前、病院でこんな話を聞いたんだけど。
家族が父親の面会のために病院に行ったとき、看護師さん同士が父親に対して「この人どんな人?」って話していたんだって。そしたら相手の看護師さんが「寝たきりのおじいちゃんだよ」って言ってたみたいで、傷ついたみたい。
あきこ:それ…家族としてはとても悲しいね。たしかに今は寝たきりかもしれないけど、今もその人にも心があるし、人生があるし。そんな一言で表さないでほしいよね。
わたし:看護師にとっては何気ない会話かもしれないけど、家族と患者さんが聞いたら傷つくことは言わないように気をつけないとね。
■気づかぬうちに誰かを傷つけているかもしれない
わたし:わたし一時期、会話するのが怖くなったの。伝えたいことをすぐ言葉にできないし、自分は何気なく言ったつもりでも、相手には違う意味でとらえられることがある。
あきこ:そうだね。だからこそ、「どんな言葉なら相手を傷つけないかな」「どうすれば心に寄り添えるかな」って、一度立ち止まって考えることが、きっと相手の心を守る第一歩になるんじゃないかな。

傷つけるつもりなんてなかったのに、傷つけた。
伝えたいことがうまく言えずに、誤解された。
誰しもコミュニケーションに悩んだことはあるのではないでしょうか。
それでも、言葉は人を癒す力も持っています。
まずは、私や他の医療的ケア児の親が言われて傷ついた言葉をご紹介します。
ただ、悪気があって言った言葉ではないと思います。
価値観や立場の違いなどによって、相手を気遣って言ってくれた言葉もあります。
■医療的ケア児の親が「ふいに傷ついた言葉」
・「次は出生前診断すれば大丈夫なんでしょ?」
🔸健康的な子どもしか必要ないのかなと思いショックでした。自分の子どもを否定された思いでした。
・「あなたが育てられるから、あなたを選んで、この子が天から来て生まれてきたのよ」
🔸よく励ましの言葉で言われますが、私の気持ちは素直に受け入れられませんでした。「それを言われると、悲しくて泣いたら責められそう」という声も。
・「かわいそう」
🔸病院や道ですれ違ったときに、知らない方にも言われます。「かわいそうなんかじゃない。うちの子は、うちの宝物です」
・「すごいね、私には無理」
🔸労いのつもりが、相手との距離を感じさせる言葉に。「“頑張ってますね”の方が、私はうれしい」
・「残念だね。それって治るの?」
🔸悪気のない質問でも、治らない現実と向き合う親にとっては辛い一言。「“治るか”じゃなく、“どう一緒に生きるか”を考えてるのに」
・「よく知らないけど、うちの子も入院したことあるよ」
🔸経験を共有したい気持ちはありがたい。でも、深刻さや事情が違うと、軽く感じることも。「“同じだよ”って言われても、正直ちょっとつらかった」
・「うちの子、健康でよかった~」
🔸その子の健康を喜ぶ気持ちは自然。でも、目の前で言われると、比較されたように感じる。「うちの子を“よくない存在”みたいに感じてしまった」
・「いつか楽になるよ」「時間が解決してくれるよ」
🔸未来を信じたい気持ちはある。でも、「今」苦しい気持ちを受け止めてほしいときもある。「“今がしんどいんだよ”って言いたかった」
・「きょうだいはどうするの?」
🔸無意識に聞かれがち。でも、家族計画には深い悩みと事情がある。「ほしくないわけじゃない。ただ、悩んでるだけなんだよ」
・「医療費無料でよかったね」
🔸医療費が無料でも入院したくなんてない。
・「付き添い入院って、家事がないから楽そうだね」
🔸実際体験した親じゃないと分からないと思うけど、実際は本当に大変。
■言葉じゃなくても傷つくことが
たとえば:
- 真剣に話しているのに、どこか上の空
- 苦笑いでごまかされたような気がした
- 「ああ、そうなんだ」と軽く流された気がした
- 同情じゃなく、なぜか“見下された”ように感じた
- 「大げさだなぁ」って思ってる?と勘ぐってしまった
- 悲しいことを話していると、嫌な顔をされた
☁️ 言葉じゃない、「顔」「態度」で伝わってしまうこと
人は声のトーン、目線、表情、相づちなどでも、
相手の「本音」や「温度感」を感じ取ります。
だからこそ──
優しい言葉をかけてくれていても、
そこに“心”が乗っていないと、余計に孤独を感じるんです。
💭 言葉よりも傷つく

つらかったことを、勇気を出して誰かに話しているとき、
その人の返ってきた「言葉」じゃなくて、「表情」「態度」に傷ついたこと、ありませんか?
私は娘の病状について正直に話している時、ある方の表情が「怪訝そうな顔」に思えて、
私と娘が責められているように感じて辛くなりました。
■「一緒に生きている幸せ」が、わからない人もいる
「一緒に日々を過ごせて嬉しい」
「生きてくれているだけで感謝」
私はいつも娘といるとき思っています。
でも、それを実感したことがない人にとっては、
正直、ピンとこない言葉かもしれません。
💭 幸せのかたちは、人によってちがう
- 子どもの成績や運動能力がいいことが「幸せ」。
- 成長や成功を分かち合うことが「幸せ」。
- 家族がそばにいることが「当たり前」で、それが「特別」と感じたことがない人もいる。
🔸だから、「一緒に生きているだけで幸せ」なんて、
“きれいごと””おかしい”と感じる人もいると思います。
💭医療的ケア児の場合は
たとえば、医療的ケア児の育児の中で、
「呼吸が安定しているだけで嬉しい」
「昨日より痰が少なくなった」
「今日は泣かずに眠れて、それだけでほっとした」
──そんな、**“当たり前に思える、とっても小さな幸せ”**を日々かみしめている人もいます。
■その言葉、本当に“傷つけようとしていた”のかな?

「なんでそんなこと言うの?」
「ひどい…」
「もう人と話すのが怖い」
「傷つくのが怖いから、誰とも話したくない」
そう思ってしまうような言葉、みなさんにも経験があるかもしれません。
でも、もしその一言の**“裏側”を少しだけのぞくことができたら──**
見えてくるものがあるかもしれません。
🧭 言葉の受け取り方は、立場・背景・タイミングで変わる
- 相手は良かれと思って言っただけかもしれない
- 経験がなくて、うまく言葉を選べなかったのかもしれない
- 何か別の不安や思いを、言葉にうまくのせられなかっただけかもしれない
🔸たとえば:「次は出生前診断すればいいんじゃない?」
→ 傷ついたけど、実は「次こそは不安のない妊娠をしてほしい」という願いだったかもしれない。
💡 真意を聞くことは、誤解をほどく一歩
「どういう気持ちで言ったの?」と、もし穏やかに聞くことができたら、
相手の答えに、自分の想像とは違うやさしさがあったりします。
- 「うまく言えなかっただけ」
- 「傷つけたつもりはなかった、ごめんね」
- 「伝え方がまずかったと気づいた」
そんな言葉が返ってきて、関係が深まることだってあるんです。
✨ 誤解も、すれ違いも、“気持ちを話す”ことで変えられる
傷ついたときに、心を閉じるのは自然なこと。
でも、ほんの少しだけ勇気を出して、
「わたし、こう感じたんだ」と伝えたり、
「どんな気持ちで言ったのか教えてくれる?」と聞いてみると、
わかり合えるきっかけになるかもしれません。

言葉はすれ違う。気持ちもすれ違う。
でも、聞いてみることで、
「そういうことだったんだ」って、
誤解が解けて
心がふっと軽くなる瞬間がある。
だから私は、相手の真意を“聞く勇気””理解しようとする気持ち”も、大切にしたいと思う。
■大事に思ってるのに、言葉が出てこないときは?
悲しいことを打ち明けられたとき。
つらい想いを目の前にしたとき。
「何か言いたい」けど、「何を言えばいいのかわからない」──
そんな経験、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。
💭 正しい言葉がわからない。でも、気持ちはある
わたし自身もそうです。
誰かの痛みに寄り添いたいのに、
どんな言葉をかけたらいいのか、分からなくなってしまうことがある。
言葉が出ないのは、
「無関心だから」じゃない。
むしろ、大切に思っているからこそ、軽々しく言えないだけなんです。
🌱 そんなときに伝えたい「言葉にならない想い」
言葉が出てこないときこそ、こんなふうに言ってみませんか?
✅「うまく言えないけど、今すごく考えてるよ」
→ 誠実に向き合っていることが、きっと伝わる。
✅「なんて言ったらいいかわからないけど、そばにいるし、応援している」
→ 正解の言葉よりも、心のそばにいてくれる姿勢が大切。
✅「今はただ聞いてるね。今度改めてちゃんと気持ちを伝えたい」
→ 今は言葉にできなくても、真剣に向き合っていることが、きっと伝わる。
✅「こういうとき、どうしたらよかったかな?一緒に考えさせて」
→ 答えを出すよりも、“一緒に悩むこと”が最大の支えになる
■私の意見
相談されたとき、私ならそうしないなと思うことでも、相手がそうしたい・決めたなら、それを否定したくないです。
相手が精一杯考えたことを尊重したい、応援したいと思っています。
ただ、他の情報や視点もあることは伝えたいです。
「正しさより、優しさが欲しい」── ヒゲダンの『Subtitle』を聞いた時、ハッとしました。
主治医はいつも「間違った選択肢はない。一生懸命考えることが大切なんだ」と言っています。
■おわりに
わたしたちは、いろんな場面で言葉を交わします。
でも、そのすべてが、うまく伝わるとは限りません。
ときに、言葉は人を傷つけるし、
ときに、表情や沈黙さえも、誰かの心に影を落とすことがあります。
でも、それでもやっぱり、わたしは思うのです。
「わかりたい」「寄り添いたい」と思って悩む時間こそが、やさしさの証なのだと。
正しさはひとつじゃない。
価値観も、感じ方も、すれ違うことがあって当たり前。
だけど、あとから気づくこともあるし、
「そのときはわからなかったけど、今ならわかる」って、思える日もきっとくる。
だから、間違えてもいい。言葉につまってもいい。
それでも誰かに近づこうとする、その姿勢を大切にしていきたい。
わたし自身も、これからもずっと、迷いながら考えながら、
人とつながっていけたらと思います。
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