ネガティブなことを想像して、不安で怯える毎日から「希望を持つことを許せた日」

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希望を持ちたい。でも、辛くなるだけ?

「生きているだけで奇跡」──
そう言われる難病の子どもを育てる私は、
明日も子どもと一緒に過ごせる保証が、100%あるわけではありません。

だからこそ、
「子どもと一緒にやりたいことはたくさんある。けれど、もし叶わなかったらと思うと辛くて、先のことを想像するのが怖い」
そんな想いを抱えていました。

そんな中でも、徐々に「生きる楽しさ」を感じた時間についてご紹介します。

常に疑心暗鬼で不安だった

娘は心臓に病気があるため、定期的に大学病院の小児循環器科で診察を受けています。
今までは月1回の通院でしたが、今月からは2カ月に1回に。
ほかの方の予約が立て込んでいる事情もありますが、医師の判断では「状態が安定している」からだそうです。

NICUを退院した直後は、月に2回の外来通院が当たり前でした。
それを思うと、通院間隔がここまで空いたことに驚いています。

今の娘の状態は”落ち着いている”と思ってもらえていることは嬉しいです。
だけど私は、どこか不安で、少し寂しくて。
「他の子どもを優先された」「見捨てられた」ような感覚すら覚えることがあります。

だって、娘はまだまだ手がかかります。
突然の嘔吐、SPO2の急な低下。
体調が安定しているとは、とても言い切れません。
きっと心臓にも負担がかかってしまっています。

正直私は、「本当に大丈夫かな?」と思い、素直には喜べませんでした。
だって、娘は”生きているだけで奇跡”なんです。
受診するまでの間に何か起きるかもしれない。何かあってからでは遅い、そう思ってしまうから。

それでも少しずつ、私は医師のアドバイスがなくても冷静に対処できるようになっていました。
NICUで吸引を習ったばかりの私が今の私を見たら、きっと驚くでしょう。

しかし一方で、”慣れてきた時期”が一番危険ともいいますよね。
何でも自分で判断しようとして、その結果ミスが起きることもあります。
「きっと大丈夫だろう」と決めつけてしまえば、命に関わる事態になりかねない。
そのことは、しっかり注意しようと思いました。

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成長することはメリットがある?

「身体が大きくなっても、そこに筋力が追い付かない場合、呼吸の負担が増えて苦しくなる」
という文章を目にしました。成長すると、いいことばかりではないんだなと思っていました。

そんなとき、ある日、訪問看護師さんがふと、こんなふうに言ってくれました。

「成長とともによくなるといいですね」

それを聞いた瞬間、複雑な気持ちでした。

上記の想いに加えて、
”生きているだけでも奇跡”の娘が、”今後よくなることはあるのだろうか”と疑問に思ったからです。
娘の病気は18トリソミー。
命に関わる合併症が多く、たとえ一つの治療を乗り越えても、次から次への病気がまた命を脅かすかもしれない。
そして、どんなに医療が進んでも、60歳まで生きられることは決してない——
それが現実です。

だから私は、どこかでワクワクする未来について考えたり、
希望なんて持たない方が傷つかなくていいのかもしれない、と思いました。

でもあのときの一言は、心の中に残っており、
ネガティブでいっぱいだった私の中に、そっと光を差してくれました。

「成長することは、終わりに向かっているのではなく、よくなる方向にすすめることもあるんだ」定期受診の回数が少なくなったのもそうですが、素直に喜び、希望を持ってもいいんだとそう思えました。


希望を持つのは、やっぱり怖い

それでも、未来を素直に信じるのは怖いです。
楽しいイベントを企画したり、計画を立てたり。
希望を持ったとき、それが裏切られたらどうしよう。
明日また入院になったら、またつらい試練が戻ってきたら——

入院は、私にとっても、娘にとっても、本当につらい時間です。
病状が悪化していることを突きつけられ、
娘の苦しい表情を見続ける。
DNAR(心肺蘇生の制限)について再確認される場面もあります。
点滴が入り、ミルクは中止。おわりと隣り合わせ。

娘自身も、不安げな表情をするんです。
家じゃない。パパもいない。静かで、白い病院の中。やりたいこともできない。
どこか、私と娘の“生活”や“人間らしさ”が薄れていく感覚すらあります。

やっぱり、家が一番。
娘も、家でのびのびと笑い、私もお母さんの顔になれる。
あたりまえのように見えて、それがどれほど貴重なことかを痛感します。

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それでも、「生きるって、楽しいかも」と思えた日

そんな中、先日、SNSで知り合ったお母さんと同じ病気をもつお子さんに会う機会がありました。
お互いに子どもの体調や医療的ケアのスケジュールがあるので、会えたのはわずか20分。

でも、その20分が、一生の思い出になるほどの時間でした。

子どもたちは、興味津々で見つめ合って、
お互いの手をつないで。
私の娘はどんどん、お友達に近づいて行って…(笑)
その様子を見て、ふと思ったんです。

「こういうのがしたかったんだな」って。

SNSでは体調が不安定と聞いていた相手のお子さんも、とっても元気そうで、
なによりとても可愛らしくて。
私の娘のことを、優しく静かに見つめてくれていました。

その光景に、心があたたかくなりました。

「今度は、もっとゆっくり、みんなで集まりたいな」

そんなふうに、確実ではない未来の中にもほんのり希望を持てた自分がいたんです。


おわりに

娘の体調は、まだ油断できる状態ではありません。
でも、私は少しずつ、自分の心が変わってきたことを感じています。

希望を持つことは、今でも怖い。
でも、不安に怯える毎日から
希望を持つことを「許せた日」があったことが、私にとっての転機でした。

未来がどうなるかは、誰にもわからない。
それでも、「今日がちょっと嬉しかった」「笑えた」そんな瞬間を大切にできれば、
生きるって、悪くないかもしれない。

そう、心から思えるようになってきました。
どうか特別なことなんて望んでいないから、これからも穏やかな何気ない暮らしを過ごしていきたいです。

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