※この記事では、本・番組の一部内容に触れていますが、詳細なストーリーや全体の結末には触れていません。ぜひご自身で読んで・観て、自分なりの気づきを得ていただけたら嬉しいです。
表情がなくても、伝えたい気持ちはある
先日、『18トリソミーはるの』という本を読みました。
この本は、医師であり母親である著者が、18トリソミーの娘・はるのちゃんとの日々を、日記という形で綴ったものです。
印象的だったのは、本の冒頭がパーキンソン病の患者さんとのエピソードから始まっていたこと。
「なぜ、パーキンソン病?」と思いましたが、読み進めていくうちに、その理由がわかりました。
パーキンソン病の患者さんも、はるのちゃんも、表情が乏しく見えることが共通していたのです。
(パーキンソン病で表情の変化が分かりづらくなる症状を、仮面様顔貌(かめんようがんぼう)といいます。)

でも、その患者さんは、著者が医学生時代、試験に合格したことを報告すると、
無表情のまま、ぽろぽろと涙を流して喜んでくれたといいます。
そして、はるのちゃんも、表情こそ変わらなくても、
お母さんにそっと手を伸ばして、「抱っこして」と伝えてくれたそうです。

表情がないように見えても、想いはある。
言葉で伝えられなくても、伝えようとしている。
その温かい気づきが、著者の医師としての視点と、
母としての視点をつないでいたように感じました。
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娘はよく笑い、よく怒る。でも、わからないこともある
私の娘は、表情が豊かです。
不満そうに「うーうー」と声を出したかと思えば、抱っこをするとパッと笑ってくれる。
「わーっ」と呼びかけてくることもあります。
そんなときは、寂しいのだなと思い抱っこします。
でも一方で、よくわからないときもあります。
たとえば、経口摂取の時間。
今はお試し程度ですが、胃管ではなく口から食べる練習をしています。
ゆっくり、ゆっくり食べる様子。
けれど、どこか「楽しそう」とも「無理している」とも、どちらとも取れない反応を見せる。

「これ、食べたいの? 美味しい? それとも、無理させてる?」
私は、どうしても自信が持てませんでした。
そんなとき、歯科医師の先生が言ってくれました。
「食べるの、好きなんだね。おいしいね。」
そして、同席していた訪問看護師さんもこう言いました。
「はじめて、あんなにキラキラした表情を見ました」
——ああ、私が気づけなかったことに、周りの人が気づいてくれた。
正直、少し悔しかった。
でもそれ以上に、素直にうれしかった。
私ひとりでは分からないことも、周囲の目や支えで見えてくることがある。
表情はなくても、気持ちは届いている──『やまとのうた』より
もうひとつ、ご紹介したいものがあります。
『18トリソミー やまとのうた』というドキュメンタリーです。
もともとはローカル放送だったこの作品が、フジテレビでも取り上げられるほど、多くの人に届きました。
主人公の18トリソミーのやまとくんは、取材当初までは、お父さん・お母さんが歌を歌っても表情を変えなかったそうです。
でもある日、取材班の前で、お父さんの歌にあわせて口を動かしたのです。
表情は変わらない。
でも確かに、“一緒に歌いたい”という意志があった。

その姿に、私はとても心を動かされました。
親は「伝っていないのかな」と不安に思うこともあるけど、「きっと届いている」
そう信じられることが、どれほど力になるかを教えてくれる内容でした。
おわりに
たとえ表情がなかったとしても、声が出せなくても、
子どもたちは、ちゃんと“伝えよう”としている。
そして大人も、ちゃんと“感じ取ろう”としている。
そんなつながりが、日々の中にそっとある。
私は今日も娘の気持ちを模索しながら、穏やかに見つめています。
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