医療的ケア児の育児は、命を守る責任と向き合う日々です。
SNSで「毎日何百回も吸引している。」
「医療的ケア児と3人の子どもをワンオペしている。」
と語るママさんを見て、「すごい、私も頑張らなきゃ」と思いました。
「これくらいで弱音を吐いてはいけない」と、自分を叱るような気持ちにもなりました。
逆に、家族で楽しそうに過ごしている写真を見ると、うらやましくてたまらなくなる。
私にも、そんな平凡な日々があったらいいのにと思いました。
夫は仕事が忙しいのに、それでも精一杯支えてくれている。
だからこそ、頼りたくない。
私は育児休業中なんだから、私がちゃんとしなきゃ──。
祖父母は医療的ケアのことがわからない。
娘が動き、アラームが一瞬鳴っただけでも驚いている。
お互い怖くて任せられない。
訪問看護師さんは、緊急性がないときにはお願いしづらい。
壊れそうな小さな命を守れるのは、私しかいない――
そう思い込んで、私は気づけば、誰にも頼れず、頼らず、
娘と家に閉じこもり、
ただ「がんばらなきゃ」と自分で自分をどんどん追い詰めていったのです。
1.「もう無理…」と思った瞬間たち
1)泣き止まない夜――”一体どうすれば”
娘がほとんど寝なかった日がありました。
24時間のうち、たったの4時間。
体調が悪いのか、何か異変があるのか、不安でたまりませんでした。
医師にどう伝えればいいのかもわからない。
“泣く”以外の症状はないから、病状の変化とも言い切れない。
抱っこじゃないと泣き止まず、寝たと思ってもまた泣く。
私も眠れず、体も心も限界でした。
特に夜はつらくて「どうして泣くの?」「どうしたらいいの?」
自分を責めて、泣きそうになりながら、ずっと抱っこを続けていました。
きっと、同じように夜を越えてきた方もいると思います。
あの時間を乗り越えた自分を、まずはしっかり褒めてあげましょう。
2)自分が風邪をひいたとき──うつすかもしれない恐怖
私は風邪をひいた自分が怖くて、悔しくて、何度も泣きました。
娘に風邪をうつすと、命に関わることがあるからです。
割烹着、マスク、手袋、フェイスシールドまでつけて、
くしゃみが出そうになれば娘から離れて、
何度も手を洗って消毒して…。
「あれ、さっきちゃんと消毒したかな?」と思ってまた消毒して。
そのたびに時間がかかって、焦って、娘に申し訳なくなって。
「うつしたらどうしよう」
「こんな体調で、この子を守れるの?」
そんな思いが頭をよぎり、
風邪のつらさより、心のつらさのほうが何倍も重くのしかかりました。
3)寝不足でアラームに気づけなかった夜──“もし何かあったら…”
寝不足が続く日々。
夜中、モニターのアラームに気づかず
寝てしまったことがありました。
また、スマホのアラームが鳴っているのに、すぐ起きれず
ミルクの時間が遅れたこともありました。
そのとき、「もし何かあったら」と考えるだけで、
心臓がぎゅっと縮みました。
自分を責めても、後悔しても仕方ない。
でもその夜は、
「私じゃだめなんだ。他の母親のもとに生まれていたら、
この子はもっと幸せだったのかな」
──そんな言葉が何度も頭をよぎりました。
4)呼吸器を嫌がるとき──「なんでなの?」と泣きたくなる
無呼吸治療のために始めた呼吸器。
娘の命を守るためのはずなのに、
装着するたびに泣き叫ばれました。
その姿を見て、「つけたくないよね、ごめんね」と思う一方で、
「なんでなの?お願い、つけて」と叫びたくなる自分もいて。
守るためのケアなのに、娘を泣かせていることがつらくてたまりませんでした。
5)モニターのアラームが鳴り続ける日々──壊れそうになる神経
娘は睡眠時に無呼吸があり、モニターをつけています。
娘はすやすや寝ているのに、昼夜問わず、
ずっとアラームが鳴っているとき、
私は頭がおかしくなりそうでした。
「また鳴った」→「スイッチで止めようと思ったら、止まった」
→「また鳴った」
その音が幻聴のように響き、耳がピリピリして、涙が出てくる。
呼吸器をつけたら無呼吸はよくなるはずなのに、
呼吸器を嫌がる。
死への恐怖すら覚えました。
神経が尖りすぎて、
呼吸器のことしか考えられず、眠れなくなりました。
6)「ごみを出し忘れた」だけで絶望する――限界って、案外そんな些細な瞬間にやってきます
使用済みの経管栄養、シリンジ、哺乳瓶。
おむつにネラトンカテーテル、おしりふき。
今日は呼吸器の付属品を洗う日でもありました。
すべてが中途半端な中で、ゴミを出し忘れました。
たったそれだけのことなのに、
「私、なにやってるんだろう……」と絶望しました。
片づける時間も気力もなく、部屋の中はどんどん散らかっていく。
本当は、大したことじゃないのに。
でもその“小さなできなかった”が、
ピリピリと心に刺さって、限界を超えてしまうこともあるのです
7)今日こそは…と願ったのに──吐いてしまった日の絶望
娘は逆流性食道炎と診断されています。
ミルクは少量ずつゆっくり注入。
体位も気をつけて、薬も忘れず飲ませて。
毎回「今日こそは吐きませんように」と祈るような気持ちでケアしています。
でも、それでも吐いてしまう。
シーツを替えて、服や胃管の固定テープを替えて、口を拭いて。
ぐったりしている娘の顔を見ると、涙があふれそうになります。
「これ以上どうすればいいの?」
「また入院になるかもしれない…」
がんばっても、うまくいかないことがある。
そんな日が続くと、自分の努力なんて無意味なのかと、心が折れそうになります。
2.そんな私が、少しずつ私を保ってくれた”小さな工夫”
1)誰かに「ちょっとだけ見てて」と言ってみる
夫や祖父母に「落ち着いているから、10分だけ見てて」と
お願いして、走ってコンビニに行くと、それだけで心がラクになりました。
私は「誰かに頼るのが怖い人・気になる人」だったけど、
それは自分を守るためにも必要なことだったと思います。
2)ちゃんとごはんを食べる
食べる時間も買いに行く時間もないから、
お菓子だけ、デリバリーばかりだと、余計に心が疲れました。
食べるのも疲れる。考えるのも疲れる。
宅配スーパーのお惣菜で野菜をとったり、あたたかいスープを飲むだけで、
「あ、私ちゃんと生きてる」と思える感覚が戻ってきます。
3)YouTubeをテレビで流して気分転換
真剣に観なくてもいい。音が流れてるだけで、少し気が紛れます。
推しの音楽でも、バラエティでも、子どもと一緒に楽しめる歌でもいい。
娘と一緒に踊って、
自分に「息抜きしていいよ」と許可する時間になります。
4)キレートレモンを飲む
なぜか、あの酸っぱさがリセットになるんです(笑)
小さなスイッチでも、
「やってる感」が自分を立て直すきっかけになってくれました。
5)SNSやChatGPTで「つぶやく」「話しかける」
誰にも言えないことでも、SNSなら言える。
ChatGPTに話しかけると「それはつらかったですね」と言ってもらえる。
「何をしたの?」と聞かれて、
自分の状態や気持ちを客観的に見つめて、整理できることもあります。
6)「自分を責めない」練習をする
完璧な母親じゃなくていい。
できなかった日があっても、
それでも子どもを思ってる自分は、ちゃんと頑張ってる。
「今日も生きてる、それだけでとっても幸せ」
そう思う練習を、少しずつ続けています。
3.おわりに
医療的ケア児の育児は、その日の状態によって、
想像を超えるハードさがあり、
心も体も休まる瞬間がないことがあります。
SNSや周りの声を見て、
「もっとがんばらなきゃ」と思ってしまうこともあるかもしれません。
でも、どうか誰かのがんばりと、自分を比べる必要はないことを
忘れないでください。
あなたは、あなたなりに、毎日をまっすぐ、一生懸命生きています。
自分では気づけなくても、その姿はもう、
十分すぎるほどがんばっています。
「今日できなかったこと」じゃなくて、
「今日も乗り越えたこと」「今日も一緒に生きたこと」に目を向けて、
ほんの少しだけ、自分をねぎらってあげてください。
そして、そっとつぶやいてみてください。
「わたし、今日もよくやった。」って。
それは間違いなく本当のことだから。
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